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れいばんサンのひとりごと

第22球 「涙でサインが見えないから」

茫然自失
とまではいかないまでも、不甲斐ない投球で皆に迷惑をかけたと塞ぐ花房タツヤは、マウンド上で、遅れて到着した石川雄二にボールを渡した。受け取った石川は『ようやくこの場所に戻って来られた』という表情を空に向け、少し笑顔をみせてから大きく息を吸い込んだ。

甲子園。
高校生になって野球という部活動を選択した者たちが、少なくともその頂きを目指そうと努力する《高み》に、いま自分が立っていることを大いに喜びたかった石川だが、決勝のこの場に至るまで、それを噛み締める余裕はなかった。それに、これまで地方大会から1度もマウンドを他人に譲らずに来た影響が、昨晩からヒシヒシと肩に押し寄せていたのだ。
激痛
とまではいかない。しかし、確実に違和感があることは確かであった。
プロ野球のスカウトも注目するこの舞台で、失態や失敗は許されないというプレッシャーも体をじわじわと蝕んでいた。
そして、萎縮した肩から放り出された1球は、自分と同じように《高み》に棲息する怪物の金属バットにより、遥か後方へと運ばれていったのだ。
大量得点差で負けたのは、5回途中まで1失点で抑えてマウンドを降りた石川のせいではない。
しかし、まだ2年生であったにも関わらず、その日を境に石川は、野球界から姿を消した。
《埋もれたヒーロー》
地元・愛媛の地方新聞に、そう特集を組ませてくれと頼まれたが、3年になった石川は受験勉強だけに没頭し、野球とは関係ない世界で生きることを決めていた。
しかし、忘れようと思っても忘れられるものではない。頭から引き剥がそうと思えば思うほど、その癒着はどんどん激しくなる。そして、高校を卒業してすぐ、単身アメリカに渡ることを決心し実行した。
そこには夢が広がっていた。甲子園という過程を踏まなくても、実力があればプロ野球選手として這い上がることも可能だ。
だが同時に、そのレベルは想像を遥かに超えていた・・・。
本当の《挫折》とは、むしろここにあったのかもしれない。
失望感を抱えたまま帰国した石川には、もう何も残されていなかった。

だが、そこに小さな光明、本当に、本当に小さいが、だがはっきりとした色を放つ光を向けてくれたのが、いまボールを渡してくれたタツヤなのだ。
嬉しい。その言葉が適切に当てはまるといった表情で、石川はゆっくりとしたモーションとともに、投球練習7球を、キャッチャーの稲見たくみ目がけて投げこんだ。

「おいおい、ピッチャー交代したけど大したことねえやな」
市役所チームの米兵助っ人の1人が、チューイングガムをくちゃくちゃやりながら、思い切り卑下する表現も交えて答えた。点差は5点。さらにここから広げることも可能だろう。ハイスクール時代にちょっとカジった程度しかベースボールには触れていないが、日本人の放つ軽いボールをパワーで押し込めないわけがない。事実そうやって、ここまで5点も獲得してきたのだ。

「いや、あまり油断しない方がいいかもな・・・」
小学生から高校時代まで野球をやっていた慎秋男は、軽く投球練習をしているマウンドの選手に、どこか見覚えのある気がしていたのだ。それに、5回までにその「軽いボール」に対して5点しか奪えていないというのも、慎を少し不安にさせていた。

バシーン!!

審判の「プレイボール」という掛け声と同時に放たれた速球は、間違いなく《豪》を付けることができた。さすがの稲見も取るのに必死だという顔を見せる。
140キロ以上のボールを、ど真ん中に入ったにも関わらず見逃すしかできなかったバッターはもちろん、審判もすぐには声が出せなかった。

9球で打者を封じた石川は、希望していた玩具を年末の記念日に赤い服を来た老人からプレゼントされたかのような嬉しそうな顔でベンチに戻った。
「よーし!今後はこっちから攻めるぞー!!」
石川に笑顔を返してすぐ、タツヤは選手たちを焚きつけた。
「おー」と、選手たちもそれに応える。
これまで、まったくボールにかすりもしなかった選手たちにファールが多くなってきた。
目が慣れたこともあるが、明らかに自信を得始めていたのだ。
それは逆に、相手チームに小さな、しかし破壊力のある《ほころび》を植え付けていた。
ついに5回表、ノーアウトから黒原茂雄が一二塁間を抜けるヒットを放った。
しかし、続く新津フミヤと大林淳がこぞって相手のファインプレーに阻まれ2アウト。そして、宮田に代わって7番・石川が打席に入った。

ドッ。

左バッターボックスに立った石川の右肩にボールがめり込んでポトリと落ちた。苦しい表情をしながらも、石川は立ち上がり一塁に向かった。

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