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殿堂

彗星は突然現れた

殿堂 球団は創設以来のピンチを迎えていた。
1999年になり、選手の出席率が著しく悪くなったのだ。
原因は明らかである。試合に勝てないのだ。
打撃に勢いはあるが、守備力に問題が多い。
そして何よりも問題となっていたのが「投手力」である。
ピッチャーがいないのだ。
後にこの時期(1999年〜2001年)のことを球団関係者はこう言う
「混乱期」と。
言葉は悪いが、まるで終戦直後の日本の姿そのものである。
選手データも、球団倉庫から姿を消していた。

そんな混乱を収拾させたのが、彗星・坂野友紀である。


【写真】 2001年、彗星のごとく現れた坂野(左)

チームの危機を救う

殿堂 坂野は、瞬く間に勝ち星を重ねていった。
抜群のコントロールと小さく曲がるカーブ、
それに変化の極めて少ないチェンジアップ。
打者にはストレートにしか感じない独特の変化球を駆使し
チームを次々に勝利へと導いていったのである。

勝利が続くと当時に、選手達も徐々に戻ってきた。
新たな戦力加入もあり、チームはこの年
ついに球団史上最多となる年間17試合を達成したのである。

その陰の立て役者となったのは、もちろん坂野である。


【写真】 試合前に神経を集中する坂野

3年連続10勝超えの快挙

殿堂 坂野はこの年、前人未踏の快挙を成し遂げる。
2005年
球団史上初となる3年連続二桁勝利投手となったのだ。

このころ、チームは年間試合数30を達成するなど勢いも増していた。
勝率5割以上でシーズンを終えることが定番となっていたが、
坂野の投球なくしてこの勢いはあり得なかったのだ。

そして坂野の実力は投手としての役割にとどまらなかった。
2004年には打点王にも輝くなど、投打に活躍する選手となった。




【写真】 MVPを受賞し表彰を受け笑顔の坂野

プライベートも充実で、今後のチーム活性に期待

殿堂 破竹の勢いでチームを勝利に導く坂野。
プライベートでも充実した生活を送り、2006年に結婚。
そして、2007年には待望の長女も誕生した。

2003年、2004年と立て続けにMVPを獲得した坂野は
2005年に球団史上初となる「殿堂入り」を果たした。
初代殿堂入りとなった感想を、こう語る。

「殿堂入りさせて頂いて、ありがとうございます。
 ブレザーとかもらえるんですか?
 野球ヒジに気をつけながら、
 これからは、打者としても頑張ります。」

今後、さらなる活躍が期待される。


【写真】 愛娘との記念写真は少しおぼつかない?

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