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殿堂 花房
殿堂 花房
■ 伝説の始まりは伝説の男から
殿堂 花房【写真】若かりし頃の花房。写真は上野公園にて
1996年秋、歴史的瞬間の現場にその男はいた。
埼玉県 秋ヶ瀬公園野球場。
チーム誕生となったその日、開幕投手としてマウンドに立っていたのが、後に零番球団の「名社長」となる花房、その人だった。

記念すべき開幕試合は惨憺たる結果だった。
穴だらけの守備と援護の一切無い貧打の下、チームは大量失点で、開幕戦の幕を閉じたのだ。
しかし、試合に負けても、花房の魂は負けていなかった。
この時の思いをバネに、丸15年に渡る金字塔を打ち立てるのだ。

■ 波乱万丈な選手生活を送りながら
選手としての活動は、決して順風満帆ではなかった。
開幕翌年こそ、打率5割3分3厘・本塁打2本と好成績を残すも、「レイバンス空白の3年」が終わった2002年以降は打率2割台を続けるなどの不振が続き、守備にもほころびが見られた。
だが、決して諦めなかった。オフには足首に「重り」をつけて生活。弛まぬ努力が功を奏して、2008年には打率4割2分9厘を記録。球場を埋め尽くすファンに「復活」をアピールした。

そしてその年、チーム唯一の「規定打席割れ無し」選手となり、その後も、殿堂入り(2011年)までの15年間、記録を継続している。

殿堂 花房【写真】着替え時は男らしくいつもハダカで
■ すべてはチームへの愛だから
殿堂 花房【写真】秘密工作中に記者に囲まれる花房(右)
プライベートでは、2人の子供をもうけるなど充実した生活を送り、公私についてオープンだと思われていた花房であったが、2004年に「球団秘密スカウト結社の一員」という裏の顔が発覚する。

多額の資金を投入して、優秀な選手を引き入れるやり口は、まるで某球団だと、他球団からは妬みの声が上がるほどであった。
しかし、次々に選手を口説き落としていく裁量を球団側に高く評価されて、2005年頃、ついに「二代目キャプテン」に就任する。

さらに、球団の運営・経営能力もフルに発揮し、観客動員数もアップ。
その手腕を買われて、2009年、零番球団社長に就任した。

■ 結果を産むのは自らの努力とちから
球団社長としての力量を大いに発揮するなか、自ら選手としてのレベルを落とさないため、努力も惜しまなかった。
毎オフには、重りトレーニングを欠かさないようにし、結婚などの「リア充」で太った体を引き締める過酷な特訓も行った。
自分に厳しい一方、チームへの愛情も強く、時には不甲斐ない選手をグラウンド上で厳しく指導する場面も見られた。
他人にも自分にも厳しい目を向け続けてきた数年間の努力が実り、2011年ついに、球団史上2人目となる通算100安打を達成した。

そして球団はこの年、史上4人目となる、花房の「殿堂入り」を発表した。

殿堂 花房【写真】通算100安打達成をファンにアピールする花房(右)
■ 継続的努力が魅力を産むはずだから
殿堂 花房【写真】不甲斐ない選手を厳しく指導する花房(左)
大きな構えから放つ放物線は、観るものを魅了する力がある。
長い低迷期はあったものの、15年間に渡る平均打率は3割をキープ。また、長年の訓練の甲斐があり、守備でもファインプレーを続出するに至り、まさに「努力の人」を体現し、後輩選手からも羨望されている。

チームを愛し、選手を愛する花房。殿堂入りについて、こう語る。

「私の草野球人生も、終末へと向かい始めました。
 最高の形で終えられるよう、これからも精進します。 」

今後の更なる活躍に期待する。